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皆さま、明けましておめでとうございます。

 書を仕事にして15年が経ちました。僕は書きたいものを書きたいように書くという、考えてみれば至極当たり前のことをしようと、書壇から離れて無所属の書家になりました。その後、個であることにもっと徹したくなり、日本にある共同体的なものから距離を置くために海外に出ました。でも反共同体というモチベーションは外に飛び出す弾みにはなったものの、一旦出てしまったら何の役にも立ちませんでした。そこでは個で生きるのは当たり前、いかにしてどんな個を出すかが問われました。作家としてやっていくのならなおさらのことです。
 例えば、誰かが「これが好き」と言うとまわりが「私も!」と続き、「でも僕はあっちの方が好き」とは言いにくくなる。こうして和を重んじる暗黙の圧力が場を支配する。日本はこういう傾向が強い社会。対して「君はそちらでも僕はこっちがいい」ときっぱり言い合う社会があります。ここでは自分なりの考えを持っていることが価値となります。イタリア、ドイツ、フランスはこうした社会でした。だから作家の独自性さえしっかりしていれば、これに反応してくれる人がきっとどこかにいる。多様性はアーティストを育てる土壌なんだ。何もみんなから気に入られなくてもいい、自分をしっかりと持っていればきっと誰かが見てくれる。
 では、自分の独自性とは一体何なんだろう?自問ではなかなか出なかったその答えは異国でのコミュニケーションの中にありました。相手から墨を問われ、筆を問われ、作品を問われ、それに答えているうちに自分にとって大切なものが見えてきました。「ひとは日常の外に出てはじめて自分を知る」とはよく言ったものです。日本から離れ、書家という枠にこだわるまいとしていた自分がいつしか書家であることを意識するようになりました。 書家という自分のルーツを見つめ直し、その中に自分の進路を見出そうと考えました。
 ところで欧米では書家をどう見ていたか。現代アートの世界では「書=抽象表現主義」と捉える傾向があります。戦後間もなく抽象表現主義が世界で隆盛した頃、日本の書が欧米で注目を集めたからです。書の一気呵成に書く筆線とそれがもたらす造形性が抽象表現主義と同じ文脈で捉えられたのです。僕が最も影響を受けた書家の井上有一が世界的な美術展に招待されたのもこの時代です。
 その影響もあって僕は一文字の持つ造形性を基本に、身体性と時間性(身体の動きと時間の流れを線とかたちに残す)、それに自然性(自我を抑えて偶然性を呼び込む)を自分の立ち位置と決めました。1950年代に書が欧米に残した足跡を感じながら、イタリア、ドイツ、フランスを中心に個展やパフォーマンスを続けてきました。
 今年、作品集を出版します。掲載する作品を選ぶため、これまでの作品とあらためて向き合ってみて感じることがありました。月、水、土、日、風、花。この6文字が圧倒的に多い。どれもその形が好きでこれまでずっと書き続けてきました。象形文字が多いのも偶然ではありません。
 2016年は井上有一生誕百年、僕も生まれ変わりの歳を迎えます。この節目に今年は何か新しい扉を開きたい。次の一歩、それは書のもつ二面性の中にヒントがあると考えています。高村光太郎は、「書の魅力は実は意味と造型のこんぐらかりであり、書の深さはこのヌエのような性質の奥深さから出てくるので、書の東洋的深淵という秘境の醍醐味は外国抽象美には求められない。」と言いました。「ヌエ」とは、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビという妖怪で、得体が知れないものの例え。書には言語芸術と造形芸術というふたつの顔があり、これが錯綜しているということでしょう。ところでこのふたつ、文学と美術はもともとあまり仲が良くないこともあって、どっちつかずの書は日本の美術界で特別視されてきました。小山正太郎と岡倉天心の「書は美術ならず論争」は象徴的です。事実、僕の中にもある種の無分別がありました。欧米の個展では「名前を漢字で書いて?」とリクエストされ、日本では「この字、なんて字ですか?」とか「書道?!でもまるでアートですね!」とよく言われ、これには結構くじけました。でもこれも「ヌエのような性質」がなせるわざと思い至った時、ヌエだからこそ出来る仕事があるのではと気づきました。
 本来、漢字にとって意味とかたちはクルマの両輪であるはずです。書の原点に立つならば、光太郎の言った「意味と造型のこんぐらかり」に真正面から向き合うべきではないか。はるか二千年の昔から続いてきたヒトが手で文字を書くという歴史が変わりつつある。そんな時代の作家として、書の持つ意味性と造形性の両輪にしっかりと乗っかった仕事をしていく。文字の意味性に時代的、社会的問いを込め、これを唯一無二のかたちに書きしるす。今年はそんな思いから企画した個展「生/LIFE」を東京で開きます。
 美術評論家の田宮文平さんが書展 Ten ten 2015に寄せた言葉があります。「現代の書は多彩に展開しているが、もっともかけているのは、メッセージ性ではないだろうか。ことばであろうが、かたちであろうが、見る人に突き刺さるような呼びかけがなければ、単なるルーチン・ワークに過ぎなくなってしまうであろう。」
 今年はこの言葉を大切にする一年でありたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

中嶋 宏行 
 

 


6月3日、ドイツ・ジークブルク市立美術館でのパフォーマンス映像です。
書/中嶋宏行 ピアノ/Holger Mantey

 
私が袖から登場するあたりでだんだん窓から光が差し込んできます。
一旦光が落ち、また「日」を書き終えた後に強い日差しが戻ってきます。
そして最後、「月」の最終画とともに陽がどんどん翳っていきました。
演出無しの、まったくの偶然です。
信じられない。 
 


中嶋パフォーマンス 0:00—24:03
 

 


昨日をもって第7回天作会が終了しました。あいにくの雨模様のなか、会場にお出でいただいた方々、本当にありがとうございました。天作会メンバーの皆さま、初参加の私をあたたかく迎えていただきありがとうございました。
 
1989年、京都国立近代美術館ではじめて井上有一の作品に出会いました。
あれから26年後のいま、有一の「月」とともにここに立っています。
 
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左:「花」2011年 画仙紙に墨 171x69cm
右:「月」2011年 画仙紙に墨 171x69cm
後:井上有一 「月」墨 141×180
写真:外山由梨佳
 
 


7月1日より東京・三鷹にて「天作会展」がはじまります。
20世紀を代表する書家、井上有一(1916-1985)を尊敬してやまない作家たちによる書の解放展です。2年に一度開催される本展は今年で第7回を迎え、今回私も初参加させていただくことになりました。30代、はじめて京都で井上有一の作品と出会えたことが今の私の原点です。
1日(水)PM2:00-8:00と4日(土)PM2:00-PM6:00は会場にいる予定でおります。
皆さま、どうぞご来場ください。
 

第七回天作会展 —井上有一に捧ぐ 書の解放展—
 

会期:2015年7月1日(水)~7月5日(日)
AM11:00-PM6:00 (初日はPM2:00-8:00 最終日はAM11:00-PM5:00)
場所:三鷹市芸術文化センター
〒181-0012 東京都三鷹市上連雀6-12-14
7月4日(土) 午後5時より
シンポジウム:「書について問答する」司会 海上雅臣
 
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ドイツツアー最後のパフォーマンスが終わりました。
フランクフルトで開催された第15回 “Nippon Connection”(日本映画祭)でのパフォーマンス。
ピアノ:Holger Mantey
6月3日 於:Käs 劇場
 
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ドイツツアー、第二回目のパフォーマンスが終わりました。
ピアノ:Holger MANTEY
6月3日 於:ジークブルク市立美術館
 
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ドイツツアー、第一回目のパフォーマンスが終わりました。
 

尺八:山口 整萌 太鼓:夕田 敏博
5月31日 於:Karlsburg Durlach
パフォーマンス映像制作:山口 整萌
 
“Shakuhachi×Taiko×Calligraphy performanced
in Schloss,Karlsruhe,Durlach 30.05.2015”
 

 
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第七回天作会展 —井上有一に捧ぐ 書の解放展
 
20世紀後半を代表する書家、井上有一(1916-1985)。
氏を尊敬してやまない作家たちによる書の解放展。
井上有一以降の書の歴史をつくる。
 
会期:2015年7月1日(水)~7月5日(日)
AM11:00-PM6:00 (初日はPM2:00-8:00 最終日はAM11:00-PM5:00)
場所:三鷹市芸術文化センター 〒181-0012 東京都三鷹市上連雀6-12-14
 
出品書家:(50音順)
石川 千乃 ISHIKAWA CHINO(日本)
一 了 YI LIAO(中国)
魏墨 WEI MO(中国)
海上 晴安 UNAGAMI HARUYASU(日本)
黄 柏龄 OOI PEK LENG (マレーシア)
加藤 秀麻 KATO SHUMA(日本)
クラウディア・シュピールマン CLAUDIA SPIELMANN(ドイツ)
是枝 千恵子 KORE-EDA CHIEKO(日本)
佐々木 豊明 SASAKI TOYOAKI(日本)
三代目魚武濱田成夫 SANDAIMEUOTAKEHAMADASHIGEO(日本)
張業宏 ZHANG YEHONG(中国)
トーマス・バウムヘルケ THOMAS BAUMHEKEL(ドイツ)
中嶋 宏行 NAKAJIMA HIROYUKI(日本)
ハシグチ リンタロウ HASHIGUCHI LINTALOW(日本)
日野 公彦 HINO KIMIHIKO(日本)
平蔵 HEIZO(日本)
本城 研石 HONJOU KENSEKI(日本)
森本 順子 MORIMOTO JUNKO(日本)
山口 芳水 YAMAGUCHI HOUSUI(日本)
山本 尚志 YAMAMOTO HISASHI(日本)
湯上 久雄 YUGAMI HISAO(日本)
李潔 LI JIE(中国)
李炘明 LEE HSIN-MING(台湾)
呂子真 LU ZI ZHEN(中国)
 
招待出品:
井上 有一 INOUE YU-ICHI(日本)
ニコライ・ウェルシュ NICOLAI WELSH(スイス)
 
シンポジウム:「書について問答する」
7月4日(土) 午後5時より
司会 海上雅臣
 
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ジャーナリスト、後藤健二さんのご冥福をお祈りいたします。

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皆さま、今年もいよいよ後わずかです。
一年間、お世話になり本当にありがとうございました。
2015年が皆さまにとってよい年となりますようお祈りいたします。
 
12月よりFacebookを再開いたしましたのでお知らせいたします。
”Facebook/Nakajima”
 

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無題 2008年 ケント紙に墨 20x45cm
 
 


書 x フランス額装展 ~パリ便り~ が成功裏に終了いたしました。
画廊にお出でいただいた方々、ありがとうございました。
こころよりお礼申し上げます。
 
今年は春と秋の二回、日本で展覧会を開くことが出来ました。5月は一欅庵での「未だ見ぬかたち」展、そして今回はギャラリーサロンTACTでの「書 x フランス額装」展。一欅庵の作品は作意20%で無作意80%、片や今回は作意80%で無作意20%といったところです。ところで一欅庵の展示は額無しで、今回はフランス額装とのコラボレーションでした。一欅庵は展示空間自体が和の文化財であるのに対し、今回は一面白壁のギャラリーであり、それぞれの場を踏まえた展示を考えた次第です。
 
書とフランス額装のコラボレーション。
今回、始めに書があり額装がこれを受けて作品全体が完成に至りました。一般に、中味の作品が主役で額装はこれを引き立てる脇役であるという考え方があります。しかし今回の取り組みを通じて感じたのは、書が先で額装が後という順序の話と、主従関係の話は別問題であるということです。私は、額装は書を前提としてマット部分の空間を表現するアートではないかと感じています。書が文字という前提(素材)を踏まえて作品をつくるのと同様に、額装はドキュモン(中に収めるもの)を前提にその周りを作品化するということではないでしょうか。もちろん、ドキュモンの作家が自身の作品を引き立てるように額装の仕様に注文を付ける場合、額装家は一職人としての仕事を請けることになります。日本ではこのケースが多いので、特に両者を主従関係としてとらえる意識が強いように感じています。ちなみにフランスの哲学者ジャック・デリダは『絵画における真理』において、作品(=本質的なもの)と額(=付随的なもの)という二項対立に揺さぶりをかけ、作品と額の主従関係を脱構築的に問い直しています。
ともあれ、今回は額装についていろいろと考えさせられる機会となりました。少々気が早いですが、皆さま、よい年をお迎えください。
 
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 書は、古来より日本の住まいとともにありました。私たちは床の間に四季折々の軸を、長押に格言の額を掛け、色紙には詩歌をしたためて、暮らしの中に書を生かしてきました。しかし今や和室や床の間のない家も珍しくはありません。現代の住まいのインテリアとして書を楽しむにはどうしたらいいか? 和モダンの住まい、洋の住まいにふさわしい書の室礼(しつらい)とはどのようなものか? そうした問題意識がこの展覧会の出発点にありました。またそうであるがゆえに、あえて日本ではなくフランスの額装と組むことで新しい答えが見えて来るのではないかと考えました。
 ヨーロッパには確固たる額装の歴史と文化があり、なかでもフランスには額装家の国家資格制度があります。額装は “Encadrement/アンカードルモン” (額縁に入れることの意)と呼ばれ、作品の周りを取り囲むマットの部分を数十種類にも及ぶ技法を駆使して装飾します。フランスでは絵画や版画、写真、オブジェなど、ありとあらゆるものを額装して楽しむ文化が浸透しています。パリの街中には額装屋がたくさんあり、パリジャンは誕生日やクリスマスになると思い思いの品を額装して家族や恋人、友人たちにプレゼントします。
 書xフランス額装。この試みは前例のないもので、今回は新鮮な楽しみとともに初めてゆえの迷いも経験しました。そもそも額縁は内と外の空間を隔てる境界の役割を果たします。ルネサンスの建築家レオン・バッティスタ・アルベルティの「絵画論」によれば、画家は絵画を「開いた窓」に見立てています。厚い壁で四方を囲まれたヨーロッパの部屋。そこに遠近法の絵画を掛けると、まるで部屋の窓から外を眺めているような効果が生まれます。閉じた空間にポッカリ空けられた窓と、その向こうに広がる描かれた世界。絵画は、額縁がもつ窓枠としての機能によってその再現性が担保されました。ちなみに、窓や戸をはめるために四方にまわした材のことを建築用語で額縁と呼んでいます。ヨーロッパの額装文化はこのような伝統の中で発展してきました。
 片や伝統的な日本建築はどうでしょう? 建物は柱と梁で組まれており、空間を「囲い込む」壁はありません。ふすまや障子、屏風や御簾が大空間を「仕切る」だけです。しかも絵画はその仕切りの上に直接描き込まれました。手前の間のふすまから奥の間のふすま、さらにその奥の間のふすまへと仕切りは重なり合いながら奥へ奥へと続きます。日本の書はこうした伝統的な室礼の中で生きてきました。
 壁に空けられた窓の向こうに広がる遠近法の世界と、仕切りに描かれたフラットな景色が奥へ奥へと重なる世界。この歴然とした両者の違いを前提として、書をフランスで培われた額装のエスプリと如何に融合させるか。試行錯誤を続けながら今回展示した20点に到達しました。たくさんの方々にご高覧いただきたく願っております。
 
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書 x フランス額装展 ~パリ便り~
 
と き:2014年11月27日(木)~11月30日(日)
    11:00~19:00(会期中、作家在廊予定)
ところ:ギャラリーサロン TACT
〒104-0061 東京都中央区銀座5-9-14 銀座ニューセントラルビル5F
TEL 03-6228-5345

詳しい情報は下記をご覧ください。

”展覧会情報”
 
 


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